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都市スケッチ

作品抜粋:No.31~No.60


作品は随時追加されます。


都市スケッチ No31. Ruby

午後の光が、
斜めに差し込む。

棚の奥に並ぶ香水瓶。
そのひとつが、
ふっと光を返した。

マルーンでは、
少し重すぎる。

バーミリオンには、
艶があり過ぎる。

ワインレッドだと、
少し翳りが強い。

──そう、これはルビー。

澄んでいて、やわらかく。
記憶の底に浮かぶ、赤。

その瓶には、
ラベルもブランド名もない。

古いアンティーク。

結婚し、
海外へ行った友が、

“祖母の想い出なの”

そう言って、
託してくれたもの。

──棚の奥に、 そっと残している。

いつか、
香りは消える。

でも、瓶は、
ずっと閉じ込める。


都市スケッチ No33. ホットココア

「やあ、久しぶりだね」
男が声をかける。

女性は顔を上げ、
ふっと笑った。

「……あら、アナタなのね。
 何年ぶりかしら」

「このカフェで会うのは、
 十年ぶりくらいかな」

「そうね。
 ここに来るのも久しぶり」

「向かい、座っても?」

「もちろん。昔と同じ席ね」

男は軽く頷き、
椅子を引いた。

ふたりの間に、
コーヒーの香りが立ち上る。

「相変わらず、ブラック?」

「いや。最近はミルク有り」

「随分、変わったわね」

「見栄張ってただけだよ。
 昔は、そういうの多かった」

女は少しだけ笑う。
カップを手にし、目を伏せた。

「娘がね。
 ホットココアが好きなの。
 それで、
 また私も、飲むようになったの」

男は少し驚き、
優しく笑った。

「そっか。
 今もシナモン、二振りかい?」

「そう。二振り」

背中越しに聞こえるのは、
グラインダーの音。
客たちの低い笑い声。

二人のカップは、
いつの間にか空になっていた。

女はスマートフォンを見て、
小さく息を吐く。

「そろそろ行かなくちゃ。
 娘が待ってるみたい」

「うん」

女は席を立ち、
鞄を肩に掛ける。

そして振り返った。

「……また会えて、よかった」

「こちらこそ」

男は軽く手を振った。

女も笑って手を上げ、
店を出て行く。

窓の向こう。
初夏の光が、
ゆっくりと街を流れていた。


都市スケッチ No34. 未来へ


重い木の扉を、
そっと開ける。

ジャズの低音が流れ、
琥珀色の照明が、
静かに揺れていた。

男が二人、女が一人。
カウンターに並んで座る。

久々の再会。

近況を報告し合い、
笑い声が弾む。

「おおっ」
「ほんまか」

驚きの声が、
時折混じる。

そして、
ふと会話が途切れた。

三人の視線は、
窓の外へ向く。

東京タワー。

その紅い光が、
夜空に浮かんでいた。

──お互い、頑張り時や。
──せやな。

しばらく沈黙が続く。

──変わらへんよね。

マスターが、
新しいカクテルを置いた。

グラスの底は紅。
上は透明な白。

「レッドスターです。
 今夜の皆さんに、
 似合うと思いまして」

三人は顔を見合わせ、
小さく笑った。

そして、
グラスを掲げる。

「未来に」

ガラスの触れ合う音が、小さく響く。

窓の向こう。
東京タワーは、
変わらずそこにあった。


都市スケッチ No38. それだけの事が

春以来。

彼とは、
男女の関係になった。

別に、付き合っている訳じゃない。

彼は夜の客。
何となく、
その延長だった。

だから、
私たちのLINEは短い。

次の予定。
スタンプ。
猫。
時々、 ハート。

それだけ。

だから、
あの人も、
何も言わなくなった。

《了解》

ただ、それだけ。

私も、
言葉を落とす隙間が、
見つからなかった。

でも、
会うたびに。

少しずつ。
ほんの少しだけ。

互いの身体の位置が、
近くなっている気がする。

錯覚かな。

それでも。
あの人の背中が、
浮かぶ夜がある。

今日は、
私から予定を送った。

──ただ、何となく。

少しだけ。
誰かの“女”に、
なってみてもいいかと思った。

それだけ。

それ以上でも、
以下でもない。

でも。

彼の既読がついたのは、
ずっと夜遅くだった。

静かに胸に刺さった。

──それだけのことが。


都市スケッチ No39. ミーコと呼ぶ女

女のことは、 
ミーコと呼んでいる。

もちろん、 偽名だ。
本当の名前は知らない。

聞いたこともない。

俺もエヌ。
適当な名前だ。

名前なんて、 
必要なかった。

LINEをする。
ホテルで会う。
それだけ。

最初の頃は、 
食事にも誘った。

自分のことも、 
少し話した。

でも返ってくるのは、 
猫やハートのスタンプばかり。

いつしか、 
それを見るのも面倒になった。

今は、
《了解》
それだけ。

待ち合わせの時間を送り、
返事を待つ。

そんな関係が、 
しばらく続いている。

季節が過ぎた。

ある日。
珍しく、 
彼女の方から連絡が来た。

いつもなら、 
次の予定を考える。

でも。

彼女とは、 
──それが浮かばない。

彼女もきっと、 
同じなのだと思う。

通知を見ながら、
しばらく画面を眺めていた。

いつか終わる関係。

そんなことは、 
最初から分かっている。

でも今は。
──それでもいい。

名前も知らない。
ミーコと呼ぶ女。


都市スケッチ No41. 揺れる夜

女は一人、 
カウンターに腰掛ける。

窓の外に浮かぶ、 
東京タワーの灯。

溶ける氷の音だけが、 
静かに響いていた。

マスターが、
グラスを差し出す。

「今夜はこれを……
 《Between the Sheets》です」

ラムとブランデーが重なる。

やわらかな甘さ。
その奥に、 
ほろ苦さが残る。

触れたいのに、 
触れられない。

わかり合っていても、 
交わらない。

女はグラスを手に取り、 
ゆっくりと口をつけた。

──どちらにも寄れない。

まるで、 
今の私みたい。

胸の奥には、 
男の言葉が残っている。

「君が来てくれたら、
 きっと大丈夫」

その響きと、 
カクテルの苦み。

混ざり合い、
夜の東京へ、 
静かに溶けていった。


都市スケッチ No44.

薄暗い部屋には、
立て掛けられたキャンバス。

油絵具と、テレビン油の匂い。

「……またお前か」

筆を止めず、
男は言った。

「絵、やる気になったか」

黙って、
スケッチ帳を差し出す。

数枚見た後、
男は、ハッと笑う。

「似せようとするな。
 奪え、ありのまま。

 光も、息も、魂も。
 ──それが描くってことだ」

ググッと喉が鳴る。

「おい、羨むな。
 絵描きは、
 地獄だぞ」

タバコの火。

薄闇の中、
わずかに朱が躍る。

「描かずにいられない。
 描いても救われない。
 それでも描く。
 ──それが絵描きの病だ。」

部屋を出ても、
その朱だけが、
いつまでも残っていた。


都市スケッチ No51. 責任ある自由

予測していた結末。
それが早まった。

だからといって、何を悲観する。

むしろ、
誇れば良いさ。

キミの予測、
その精度の確かさを。

そんなものだろう。

明日すら、
僕らの人生は、
どうなるか分からない。

絶対なんて、ない。

分かっただろ?

だからこそ、
大切な人との時間を、
愉しめば良いさ。

選ぶのも、
選ばれるのも、
その結果も含めて、
それこそが、責任ある自由だろう。

キミが、
それを引き受ければ良いさ。


都市スケッチ No56. 私の京都

京女に惹かれ、
恋をした日々もあった。

それでも、
どこまで行っても。

京都では、お客さん。

一見さんではない。

けれど、
古い馴染みの旅人。

何故だろう。

越えられない壁がある。
どうしても。

京都。
これが、私の京都。

楽曲:Procol Harum – A Whiter Shade of Pale


都市スケッチ No57. あの人が残した色

「何かあったのか?」

一年振りの私の個展。  
開口一番、彼が尋ねた。

「どうして、そう思う?」

「絵が変わった。」

「最近、女と別れた。」

「そっか。
 いい女性だったんだな。」

「何故?」

「お前の絵に、色が入った。  
 前には無かった、色が。」

「でも、別れた。  
 辛い恋だった。」

「それでも、  
 その色は消えない。  
 お前の絵に、艶が出た。」

彼は静かに言った。

「いい女性だったろ?」

「あぁ、そうだな。」

目を閉じる。
思い出すように、私は答えた。

「いい女性だった。 …とても。」


都市スケッチ No60. 心電図のタトゥー

彼女が、長い髪をかき上げる。

その首筋に、
青い波線と、朱のハート。

心電図のタトゥー。

「珍しいね?」

「何が?」

「普通、目立つ場所に彫るのに。  
 これだと、髪を上げた時しか見えないね」

「そうね。だから特別。  
 近しい人だけのね」

「それは、光栄だね」

そう言って、 二人で笑った。

夏。

いつしか、諍いが増えた秋。

そして、終わりを迎えた冬。

あれから、二年。

街で、彼女を見かけた。

自慢だった長い髪は、
耳元まで短くなっていた。

最初は、
彼女だと分からなかった。

すれ違いざま、
首筋に青い線が見えた。
朱のハート。あの心電図。

それで、彼女だと分かった。

かつて、
髪をかき上げた時にしか、
見えなかったもの。

今は、街を歩くだけで見える。

腕にも、肩にも、
知らない線や色が増えていた。

二年という時間を、
私は何も知らない。

あの心電図も、
いくつもの色の中に、埋もれていた。

彼女は、私に気づかない。
私も、声を掛けなかった。

人混みの向こうへ、
彼女が消えていく。

それでも最後まで、
私の目に残っていたのは。

青い波線と、朱のハート、
“特別”の意味合いだった、
あの心電図だった。

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