断章エッセイ

都市の片隅で見つけた、短い断章。日常のなかに宿る、ほんの少しの詩。

【独り言】自己憐憫の海

そんなつもりじゃない。

キミを傷つけた。
僕は、傷ついた。

そして、あの時の僕に。

嗚呼、 自己憐憫。

共感の涙は、
憐憫の海になる。

太陽が昇り、沈む。

それと同じく、
この空間は繰り返す。

異常も続けば、
それは日常になる。

【独り言】Superficial World

 おはようございます^^
 共感しました。

 おはようございます。
 救われました。(^^)/

 おはようございます。
 今日もよろしくお願いします。

波は繰り返す。
悲しみも、優しさも、言葉も。

憐憫の海。
その海を囲む、
さらに薄っぺらな世界。

誰も悪くない。

優しく、
少し傷つき、
救われたがっている。

そうだ。
僕も、挨拶をしておかないと。

 In case I don’t see ya,
 (もし会えなかった時のために)
 Good Afternoon,
 (こんにちは、)
 Good Evening,
 (こんばんは、)
 and Good Night.
 (そしておやすみ)

文章論∣エッセイ∶酔っ払い構文という文章スタイル

文章を書く上で、私自身が避けている文体が三つある。
しかし世間では、このタイプの文章は意外と多い。

① 酔っ払い構文 — 思考が揺れる文章

思いつきで話が進み、主題が飛ぶ。
同じ話を繰り返すが、そのたびに視点が揺れる。

読者には、
居酒屋で酔っ払いに絡まれているような感覚になる。

構造と中身が弱い文章。

② 自己陶酔構文 — 己に酔う文章

表面上は謙遜している。
しかし内容は自己語りが中心。
多くは美文で包まれるが、中身は薄い。

結果として
謙虚を装った自己称賛。

さらに厄介なのは、
暗黙の礼賛を求める空気が漂うこと。

自己演出過多の文章。

③ 白昼夢構文 — 現実に接地していない文章

抽象的な言葉が多い。
多くの場合、実体験が支えていない。
そのため、空気や雰囲気だけで思考が浮いている。

読者には
夢の中の独り言のように感じられる。

そして多くは複合する。

問題は、この三つが単体ではなく重なることである。

酔っ払い構文
+
自己陶酔構文
+
白昼夢構文

この状態になると、
話が飛ぶ
自分語りが強い
抽象的で現実感がない
という文章になる。

まるで文章の船酔いのような感覚。
だから読者は疲れる。そして何も残らない。あたかも、居酒屋で酔っ払いに絡まれたのと同じ。

そう、”酔っ払い構文”だ。

だから私は、この文体を避けるようにしている。

文章とは、思考の秩序である。秩序を失った言葉は、ただの酔っ払いの独り言になる。

だから書けない時は、書かない。

クリスマスローズという響き

仕事帰り、スーパーに立寄る。
季節の花を飾るようになってから、自然と花売り場も覗く癖がついた。

売り場には、クリスマスローズが置いてある。

クリスマスローズ。
自宅の庭に、元妻がよく植えていた。

「薔薇の咲かない時期に、白バラの様な花が咲くからなのよ」と教えてくれた。

決してバラっぽくは無い。だが、”クリスマスローズ”という音の響きが、私は好きだった。

今は庭の無い生活。
クリスマスローズはもう必要ない。
それでも、あの時の音の響きは、憶えている。

【散文詩】夢のかたち──信義の価値

夢を見た。
元家族の夢だった。

何故だろう。
夢でさえ、この家はいつも争っている。

内容は、信義に関しての契約。

裏切るのはいつも彼らだが。
形式は仰々しく、押し付けがましい。

契約書には、こう記載されていた。
裏切った場合、金弐百万円を支払う。

信義の契約と言う割には、安い金額だ。

勿論、今の私にとっては、大きな金額だが、彼らには大した金額では無い。きっと裏切る余白を置いているのだろう。

一呼吸置いて。

私は桁が違うと言った。
それも二桁。

私は裏切らない。
大層に信義を語る契約であれば、それ相応のモノを掛けよ。そもそも信義と言うのであれば、この金額提示は逃げる前提だ。

だから二桁。
加えるか減らすか。
弐億、或いは弐萬円。

これであれば、契約する。

守る覚悟があるならば、前者。
逃げるつもりであれば、後者。

「これが二十年、この家を見ていた私の考えです。」

私は、この家で信義を語る者たちの“価格設定”を、もう正確に理解してしまった。

そして理解した者は、もう同じ契約を結ばない。

そう言うと、また家は争いだした。

そして、夢は次の場面を映し出す。