紹介(音楽エッセイ:記憶に触れる旋律たち)
La Musique
街のノイズや深夜ラジオのざわめきを入り口に、音楽が引き金となって立ちあがる瞬間の気配を掌編として掬い上げました。ジャンルごとに読み切りで並べた小さな物語は、どれも数分で読み終えられるサイズです。ここではとくに相性のよい四本を厳選して掲載し、物語の背景や制作ノートは外部サービス「Note」の各記事へのリンクから、さらに掘り下げてお楽しみいただけます。

黒い涙と、サンフランシスコ−Jacky Terrasson 『REACH』
ジャッキー・テラスンのアルバム『REACH』
サンフランシスコ、ユニオン·スクエアの先にあるレコードショップの店内に流れていた、アルバムだ。
1996年7月。
まだ夏は始まったばかりだが、二人の終わりは近づいていた。
彼女は1週間後、日本に帰る予定だったから。
離れても、同じ音楽を聴いていたい──
今のように、YouTubeもストリーミングもなかった時代。
二人が“同じ空気”を共有する手段は、同じアルバムを手にすることだった。
当時、僕はJazzに詳しいわけでは無い。
ただサンフランシスコらしさ。
二人で過ごした街の空気感を感じれるアルバム。
レコード店で、二人で肩を並べて聴いた。そして、選んだ。
流れていたのは、軽やかで都会的なピアノ演奏。けれど、ふとした和音の“間”に、不思議で、少し歪な余韻が耳に残る。
まるで、言葉にならない何かを、そっと抱えているような音楽。
「このCD、買って帰ろう。」
そう言った瞬間だった。
いつも気丈だった彼女が、ボロボロと涙をこぼした。
あと1週間。
もう、あと7日しか一緒にいられない。
僕は、言葉が見つからなかった。
ただ、彼女を抱き寄せて、黒いマスカラが滲んだ涙をそっと拭っただけだった。
あれから、何年が過ぎただろう。
『REACH』を聴くと、いまでも思い出す。あの時の夜のレコードショップの空気と、彼女の震える肩。
軽やかなリズムの裏に、僕だけが知っている“黒い涙の記憶”が閉じ込められている。
ただ、音楽だけが残った。
それだけが、今も彼女と僕を、どこかでつないでいる。

『California』と、眩しき逆光の中で−Phantom Planet『California』
ある曲を聴いた瞬間、あの頃の風景がよみがえることがある。
香りでもなく、言葉でもなく──音だけが、時間を巻き戻す鍵になることがある。
私にとって、その鍵は、Phantom Planetの『California』だ。
アメリカのTVドラマ『The O.C.』の主題歌として知られるこの曲は、西海岸の眩しい青春を象徴するようなイントロから始まる。
けれど、実際のアメリカ、そして実際のカリフォルニアは、あんなに完璧ではなかった。
確かにL.A.のロングビーチやHollywood、サンフランシスコの丘の上には絵葉書のような風景があった。
でも、それはほんの一部だ。
私が過ごしたのは、もう少し乾いていて、もう少し埃っぽい場所だった。
大学のカフェテリアでは、パサパサのターキーブレストサンドが主流だった。
パンに塗られたマスタードが妙に酸っぱかった。そして、ベタベタのヤキソバ擬きがお馴染みだった。
モールの裏手にあるダイナーでは、Heinzのケチャップだけが主役だった。
車に乗れば、どこまでも続く荒涼とした道路と、熱を含んだ風。
そこは、強烈な陽射しと影のコントラストがいつも付きまとう街だった。
18歳から20歳まで、私はカリフォルニアで暮らしていた。
Phantom Planetのメンバーとほぼ同世代ということもあり、彼らの音楽や映像に映る風景は、どこか自分の記憶と重なっている。
“リアルなCalifornia”──
そこには、TVドラマのような絵空事ではなく、もっと生々しくて、もっと曖昧な毎日があった。
それでも、あのイントロが流れると、思い出してしまう。
乾いた街の午後と、少し気怠い陽射しと、全てを真っ赤に染める、夏の夕暮れを。
Phantom Planetの『California』は、私にとって、”記憶のなかでいつも逆光を浴びている曲”なのだと思う。

声と王冠──僕の音楽入門は、英語と漫画からやってきた
「Excellent!」
まだ稚拙だった僕の英会話に、いつも手放しでそう言ってくれたのは、高校の語学クラスの担任、ジェレミー先生だった。
授業中はもちろん、放課後も、先生の言葉には不思議な魔法があった。何もかも肯定されるようで、世界がちょっと広がって見えた。
先生が帰国する前、最後に連れて行ってくれたのは、異国の匂いが立ちこめる、外国人バー【Red Strings】だった。
ビリヤード台に、アダムス・ファミリーのピンボール。カウンターではバーボンのボトルが並び、奥のジュークボックスから流れてきたのは──Queenだった。
《Bicycle Race》。
なんてふざけた曲だ。自転車のベルみたいな音が鳴って、コーラスはくるくる入れ替わるし、歌詞は支離滅裂なようで、どこか挑発的。
だけど、洒落ていて、キラキラしていて、耳から離れなかった。
それが僕の「洋楽の入り口」になった。
先生が帰国したあとも、僕はそのバーに足繁く通った。
英会話の練習がしたかったのか、異国文化の空気に触れていたかったのか、あるいは、あの曲の続きを探していたのかもしれない。
気づけば、高校を卒業し、僕はアメリカの大学に進学していた。
時を同じくして、もうひとつの音楽との出会いがあった。
わたせせいぞうの『ハートカクテル』──
大人の恋愛を淡く描いた、静かなモノローグの漫画だ。
そのト書きに、さらりと「音楽:マンハッタン・トランスファー」と書かれていた。
たったそれだけで、僕はCDショップへ足を運び、アルバムを手に取った。
そこに収録されていたのが、《Four Brothers》だった。
──4人の声だけで、ビッグバンドがはじまった。
パートが分かれ、絡み合い、スウィングし、ジャズが“楽しいもの”として迫ってくる。
綺羅びやかで、エンターテインメント性にあふれて、そして何より楽しい。
それまでの「ジャズ=難しそう」という印象は、一発で吹き飛んだ。
音楽って、こんな風にも出会えるんだ。
今振り返って思う。
音楽の入口は、いつだって“難解さ”の逆側にある。
知識も、理屈も、準備なんていらなかった。
「面白い」「お洒落だ」「なんだこれ」──そう感じた瞬間が、すでに扉だった。
Queenの《Bicycle Race》と、マンハッタン・トランスファーの《Four Brothers》。
ふざけてるようで、作りは極めて緻密。
お洒落なようで、技巧が隠されている。
どちらも、笑ってしまうほど楽しくて、後になってから凄さが分かる。
あのジュークボックスと、あのト書きの一文。
僕にとって、それが素晴らしい“音楽との出会い”だった。
そして今でも、何か新しいものに触れるたび、僕は少しだけ思い出す。
英語を話してみたくなったあの日のこと。
そして、声と王冠が連れてきた、音楽のことを。

Lady in Red ─ 白いワンピースの君へ
あの夜、彼女は白いワンピースを着ていた。
けれど、僕の目には、Chris de Burghの《Lady in Red》そのままに映っていた。
“I’ve never seen you looking so lovely as you did tonight…”
彼女は高校の同級生だった。
華やかな存在で、笑顔が魅力的で、地元でも有名な家の娘だった。
けれど、それ以上に、人としての美しさを感じさせる女性だった。
クラスも違い、話す機会はほとんどなかった。
けれど、彼女の声や笑い方が、なぜか記憶に残っていた。
数年後、同窓会で再会した。
かつての憧れは、やがて友になり。
そしてある夜、劇団四季の《アイーダ》のミュージカルを観た帰りに。
僕は小さな向日葵の花束を手に、彼女に想いを告げた。
アイーダとラダメス──立場の違いを越えて、死を選んでまでも共に在ろうとした二人の姿に、僕たちは何を重ねていたのだろう。
あの時、彼女は笑って頷いた。
白いワンピース姿のその人。
まぎれもなく、僕にとっての Lady in Red だった。
その後、彼女は妻となり、家族ができた。
事業を立ち上げ、走り続けた20代と30代。
時には余裕を失い、心に擦れ違いも生んだ。
でも、忘れられない瞬間がある。
結婚式で流したのは、Commodores の《Three Times a Lady》。
──“You’re once, twice, three times a lady… and I love you.”
誓ったのは、あの時の僕のすべてだった。
Once … 少女として
Twice … 恋人として
Three times … 妻・母・人生の伴侶として
それでも、人生はまっすぐには進まなかった。
歩幅のズレは、次第に埋められない溝になり、僕たちは互いの幸せを願って、別々の道を選んだ。
けれど、今も《Lady in Red》が流れると、あの夜を思い出す。
白いドレスのまま、僕の心の中で踊り続けている彼女。
たとえ記憶の中だけでも、あの瞬間は永遠であってほしい。
もう隣にはいないけれど、心から願っている。
彼女が、今も、あの笑顔のままで。
どうか幸せでありますように。

一曲一記憶、一旋律一感情
一曲一記憶、一旋律一感情。
音楽は、ただ流れるものではない。
人生のある瞬間を包み込むように、静かに、時に激しく、私たちを揺さぶってくる。
ここでは、そんな“音と言葉の交差点”を綴ったエッセイ集。
名曲とともに過去を辿り、今を見つめ、静かに次の一歩へつなげていく。

ROLL WITH THE PUNCHES TOUR 2026からの帰り道
ブライアン・アダムスの来日コンサート〈ROLL WITH THE PUNCHES TOUR 2026〉の帰り道。
水曜日、まだ週半ば。打ち上げは別日にする事にし、友とは西宮北口で別れる。だが、圧巻の演奏の後。一人興奮冷めず、折角なので一軒顔を出す。
結局、終電を逃した。しかし、今日は暖かい。一駅だけだし、タクシーも乗らず歩く。コンサートの余韻で火照った身体には、今日の寒さは丁度良い。
コンサートで流れていた曲を思い出し、イヤホンで聴く。そして、”We Will Ever Be Friends Again”を選ぶ。ブライアンの新しいアルバムで、気に入っている曲、今日も演奏されていた。
曲を聴きながら、少し思うことがあり、ふと目を瞑った後、上を見上げた。目を開けると、冬の星空は思った以上に綺麗だった。
星空を観ながら、そういや”Shine A Light”も演奏されていたなと思い、曲を切り替える。
そして。
♪Shine a light,shine a light,shine a light♪と口ずさみ、家路へ急ぐ。

Harvest Moon の鳴る家──18歳、アメリカで覚えた呼吸
あの街では、風景そのものがカントリーミュージックのようだった。
家々の色、空の広さ、そして夕暮れのオレンジ。どれもが、ひとつの「4/4拍子」を静かに刻んでいた。
──あれは、四拍子の街だった。
カリフォルニア州、Fresnoの乾いた風は一定のリズムで揺れ、隣町のClovisに入れば、もっと静かで、もっと真っ直ぐな拍が続いていた。
舗装された道の向こう、果樹園を抜ける車の音さえ、同じテンポの中で流れていた。
ホストファミリーの家で暮らした約半年、私はその“拍”に合わせて呼吸するように生きていた。
朝の食卓、語学学校に向かう車、夜の静けさ。気づけば生活の速度まで、彼らと同じになっていた。
馴染もうとしていたのではない。ただ、この家の一員でいたかった。
今では到底できないほど、若さと憧れと焦りが入り交じった必死さが、当時の私を動かしていた。
その気持ちが通じていたのだろう。彼らは私を自然に受け容れ、日常のすべてを惜しみなく分けてくれた。
日曜の朝は、少しきちんとした服を着てClovisの小さな教会へ。
淡々とした賛美歌と、静かな説教。そこにも派手さのない四拍子が流れていた。
午後は庭でBBQ。肉の焼ける匂い、甘いBBQソース。コーラやZimaを片手に、家族の笑い声が乾いた空気に溶けていく。
2つ下の息子、クリスとは、よく庭でピンポンをした。バスケでは歯が立たなかったが、ピンポンは互角だった。負けた方がハラペーニョを食べる罰ゲーム付きで、唇が腫れるほど辛かったのも、今では良い思い出だ。
彼の野球応援にも何度も行った。小さな球場、乾いたバットの音、濃いチリ味の向日葵の種。あの空気の流れもまた、ゆっくりとした拍で進んでいた。
ある日は、高校のミュージカル。演目はウエストサイドストーリー。クリスの彼女がシャーク団の女子役で、身体の小ささとは対照的に、驚くほど大きな声で歌っていた。
特別な事件が起きるわけでもない。ただ、胸の奥が静かに満たされる時間だった。
収穫祭の季節、移動遊園地が街に来た日。観覧車の灯り、甘い匂い、ざらついたアナウンス。
“非日常”というより、いつもの街が少しだけ賑やかになった日──そんな穏やかな高揚が漂っていた。
Clovisのアンティークショップ街も忘れられない。
古い家具、看板、ランプ。どれも時間をそのまま閉じ込めたようで、歩くだけで落ち着いた。何点か買ったが、今はもう手元にない。それでも、そこで感じた空気は今も残っている。
そして何より記憶に残るのは、車の中の音だ。
古いポンティアック・ファイヤーバードのエンジン音。乾いたダッシュボードの匂い。
スピーカーから流れる、あのカントリーの優しい音色。スチールギターが窓の外の一本道に溶けていく。送り迎えのたび、何度も何度も聴いた。
カントリーというジャンルを理解していたわけではない。ただ、その音楽はホストファミリーと過ごす時間の“背景”として、ずっとそこにあった。
気づけばそのリズムは、私自身の中にも入り込んでいた。
今でも、Neil Young の「Harvest Moon」を聴くと、Fresnoの熱風、夕暮れの光、車の揺れ──あのすべてが蘇る。
心地よいBPMだからではない。あの頃の私の呼吸が、その音楽と同じ速さで生きていたからだ。
必死に息をしていた18歳の私の“拍”と、FresnoとClovisの街が刻む四拍子。その重なりは、今も胸のどこかで静かに鳴り続けている。
Harvest Moon のイントロが流れるたび、Fresnoの夜の風と、Clovisの白い朝が、ゆっくりともう一度、四拍子を刻む。

バッハの夢を灯す夜──Procol Harum《A Whiter Shade of Pale》
【第2章】バッハの夢を灯す夜──Procol Harum《A Whiter Shade of Pale》
結婚式のキャンドル入場に、何の曲を使うか。
それは、案外軽んじられがちだけれど、僕にとっては、ひとつの“祈り”のような選択だった。
その夜、僕たちの入場に流れていたのは──Procol Harum《A Whiter Shade of Pale》だった。
歌詞の意味は、正直なところ、式にふさわしいとは言い難い。
寓意に満ちていて、かなり謎めいていて、あの場にいる人のほとんどは、何を歌っているのか分からなかったと思う。
でも、僕がこの曲を選んだのは、言葉ではなく「響き」のためだった。
僕は、子供の頃からカトリック系の宮廷音楽や教会音楽が好きだった。
なかでも、バッハの「G線上のアリア」──そのパイプオルガンの荘厳な響きに、いつも心が奪われていた。
光と影が交錯する中、音が静かに立ち上がる。まるで、時間が止まっているかのような、あの感覚だ。
僕は、その響きに包まれるような夜を、自分の結婚式で再現したかった。
だからこそ、《A Whiter Shade of Pale》だった。
この曲には、明らかにバッハの気配がある。
旋律そのものが引用されているわけではなくても、G線上のアリアの流麗さ、オルガンの揺らぎ、静謐な緊張感──それらがこの曲の根っこにある。
※厳密には、シャコンヌの雰囲気だが
現代のロック・バンドが、教会音楽の構造と霊性を持ち込んだ瞬間。
それが、僕にはこの曲に思えた。
結婚式は、かなり華やかなものだった。生演奏もあり、贅を尽くした演出もあった。
けれど、式が終わったあと、多くの人が、キャンドル入場の曲を褒めてくれた。
「あのキャンドル入場の曲、ずっと耳に残ってる」
「まるで夢の中みたいだった」
──それが、嬉しかった。
クラシックは、死なない。
旋律が再構築されようとも。
言葉が付こうとも。
演奏される場が変わろうとも。
その“響きの精神”は、今も灯り続けている。
バッハの夢が、ロックに姿を変え、薄暗い式場に、蝋燭とともに、そっと立ち上がっていた。

午後の色と、遠い恋と夢の余韻──ボサノヴァとフレンチ・ポップの二重奏
“She looks straight ahead, not at him.”
― The Girl from Ipanema
“Je suis l’ex-fan des sixties.”
― Jane Birkin, Ex-Fan des Sixties
午後のカフェには、言葉よりも香りと音楽が似合う。
TOR GARDEN──あの庭の名を、いまでもふと思い出すことがある。
柔らかな陽射し。芝の匂い。琉球ガラスに注がれたパッションフルーツの炭酸水。
その横でかすかに流れていたのは、ボサノヴァだった。
アストラッド・ジルベルトの《イパネマの娘》。
鼻に抜けるメロディは軽やかで、でもどこか遠く、恋の後ろ姿のようでもあった。
20代。まだ世界が平和で、自分にも輝ける未来があると、何の疑いなく思えていた頃。
ストローで飲むモエ・シャンドンに酔いながら、芝に寝転び、空を見上げていた自分が、確かにそこにいた。
けれどその時間も、その庭も、もう存在しない。
時を経て、今も音楽を聴いている。
けれどその選曲は少し変わった。
たとえば、そう…
ジェーン・バーキンの《Ex-Fan des Sixties》。
フレンチ・ポップ特有のウィスパーボイス。ふわりとした甘さのなかに、冷えた諦めがある。
「私はもう、60年代のファンじゃないの」
そう歌う彼女の声は、時代の熱をすり抜けてきた人だけが持つ、上品な“疲れ”のようにも聴こえる。
アストラッドが“恋が始まる気配”
ジェーンは“恋が終わった後の、笑い方”を知っていた。
ふたりの声は、どちらも静かに美しい。
けれど、歩いている時間が違う。
だからこそ、並べて聴くと、ひとつの人生を垣間見ているように思える。
7月の朝。
あの時、譲ってもらったガラスの器に緑を活けるたび、記憶の庭が立ち上がる。
軽やかなボサノヴァと、ふいに重なるフレンチ・ポップの余韻。
どちらの音も、もうこの街ではあまり聴かれない。
でも、私の中では、いまも流れ続けている。
午後の光の中で。
恋と夢が始まる前と、終わった後のあいだで──
